月色ユーカリプタス

魂をみる私の世界

うつ病は純粋に戻す荒行、魂の声を聞く身体になること

経験から感じたことです。

当時、死にたい衝動に駆られる中、頭が真っ白、ふわふわして夢の中にいるみたいな感覚、考えが纏まらない、記憶ができない、やらなくてはいけないことをしようとすると必ず熱が出る。

鬱病を発症した私は夢か現実にいるのか分からない感覚の中で生きていました。

 

どんどんと体重も落ちていき、良くないものもラップ音と共に存在を示してくる、そんな生活でしたが、なんとか生きていました。

 

急性期の鬱病は死にたい感情に支配され、潜在意識が大爆発して泣き暮らすのですが、何度も何度も繰り返していると、低空飛行で安定していきました。このときのことは機能不全家族出身の人は分かると思いますが、野生の動物のように隠し通していたので誰にもこの不安定さは見せませんでした。

期間としては二十年ほどなのですが、日々内省をしつつ不安定の中、忘れやすさも治らず異常なメモ魔となり、なんとか隠し通して暮らしていました。異常というのは仕事中メモをするのですが、メモ未満情報は両腕に書き残していく状態で、ふと時計を見ればアナログ時計が読めなくて戸惑うこともあったので脳みそが壊れてるなと、悲しいを通り越して本当にどうしょうもない状態でいました。

 

聞く姿勢で十秒前に言われたこと思い出せますか。私は聞いたそばから忘れて思い出せませんでした。

 

この時期は引っ越しもあり生活環境もよく変わったので、家族みんなでどうしたらいい方向へ進んでいけるかでも悩んでいました。

 

そして意味の分からない四面楚歌をこれでもかと味わいました。(霊感が戻って分かったことは私の周りはオーラのマイナス面が強く前面に出た人ばかりでした。)そして言われる痛みで麻痺してくる頃、孤独も孤高へと昇華していました。

二十年もの間黙々と内省をし続けていると、ポロッと出てきた声が『人に優しくありたい』でした。どんなに酷いことがあっても、いつも答えは愛に溢れていて『私は私だから、いつもニュートラルな状態で困ってる人に手を差し伸べたい』でした。

 

自分のことがままならないのに、自分が上手くいかないからと悪意を込めてなじってくる人に対してもポロッと出てくる優しい声に戸惑いました。

 

死ねない環境でガッチリ固められ、心の衝動をひたすら聞いた日々。

 

長いこと病んだので、ふとこの先も同じように同じ時間自分は病んでいるんだろうなと想像したとき、無性に腹が経ちました。

何がいけなかったの

私の進む方向は全方向から駄目だと言われ続けたので、進んでいない道は何があるんだろうかと想像してみました。

ネガティブだったからポジティブ

苦しいと思っていたから楽しく

やりたくないのにやりたいふりしたから、本当にやりたい事

絵描きになりたかったけど、怪我をして駄目だったのは休憩しようっていう心の声を無視したから?

嫌なこと言う人に遠慮してそこにいてあげたけど、私自身も大事にしてなかったってこと?

 

死にたいならば十年後に死ぬと仮定して、最後の十年やりたいことをして生きてみようという発想に行き着いたとき心の回復ができました。

 

マイナスを糧にしていくこと。

残りの人生、マイナスをプラスへ。

 

腹が立ったから私に関わった人もプラスに変えてく!会えて良かったと言われて死んでいくんだ。そんな気持ちで生きるようになりました。

 

こういった鬱後のぼーっとする状態は、瞑想の何も考えない状態とよく似ています。

私は脳みそがそれを覚えてしまったのですぐにあっちの世界と繋がります。鬱をしていなかったら雑念を払うことも時間がかかったように思いますが、常に頭が空になる状態になっていたので魂へのアクセスはしやすくなったのだと思いました。

そして、鬱を糧と出来た場合、心の垢はほとんど取れるので軽いエネルギーを持つ人になるんだと思いました。頭の中も本当に軽い状態で、ある意味悟りのような状態でもあります。

 

鬱は強制的に荒行に放り込まれた状態で、終わってみれば清々しさもあり、私の人生にはこれが必要だったと思えるくらいでした。

 

追記です。

鬱になってしまったら、持ち過ぎた重たい感情を脱水機にかけたと思って軽くなるまで出し切ってください。そうして残るのは汚れのない魂の声が聞こえる身体です。本当に必要なものが最後に残るんですよ。

調子の悪いときは赤ちゃんみたいに疲れたら眠る。お腹が空いたら食べる、心の中の小さな声を頼りに過ごしてみてください。思考よりずっとあなたのことを知っている声を拾ってください。私達の本体は魂なんですからね。