月色ユーカリプタス

魂をみる私の世界

命をつなぐ本、アニマな感覚

岩波さんの所から出版されている本がけっこう好みで今回はジュニア新書から出ている田んぼから見た世界のお話です。

みなさんのお家の近くに田んぼはありますか。

私は大人になって引っ越しを重ね田んぼが近くにある暮らしになりました。

子どもの手を引いて雨の日にあぜ道を歩いたとき、一歩踏み入れる度に蛙が四方に飛び跳ねました。雨が当たる傘の音、湿気った空気の中、踏みたくないと子どもとヒーヒー言いながら頑張って歩いたこともありました。

家を囲む塀には沢蟹がこっそり住んでいたりと人間と自然の世界が近かったです。色んな地域に住むことができその少しの違いを味わいました。私はあまり人との波長が合わないですけど、自然は常に合う合わないもなく、淡々と受け入れてくれました。

この本は文体も柔らかく、そっと大切なことを教えてくれる内容だったのでその中で心に残ったことを紹介したいなと思います。

 

抜粋

草取りなど手慣れた仕事は頭を使わず、身体が勝手に動いてくれます。仕事に没頭していると、時が立つのも忘れ、自分自身のことも忘れ、そして家族や経営のことなどもすっかり忘れてしまいます。こういう時が一番幸せです。疲れてくると、頭ではなく、身体が「休みなさい」と教えてくれて、ようやく我にかえります。あるいは、急に涼しい風が吹いてきたことに身体が気づいて、我にかえります。そこではじめて「ああ、自然に包まれ、天地と一体になっていたんだな」とわかるのです。

私はこの出だしから好きな本だと思いました。どうですか共感しませんでしたか。忙しく暮らしていると風の自然爽やかな感覚を忘れがちなんですが、みなさんは日常生活で感じて生活をしていますか。自然が少なくなるとこういった風がただの冷たい風、辛い風と感じてしまいます。不思議ですよね😯

 

harutugekusa.hatenablog.com

 

 

抜粋

それにしても仕事に没頭していると、あらゆることを忘れているのに、目の前の生きものは目に入って会話までしているのは、なんとも不思議です。

 

これはなんだかスピリチュアル的表現じゃないでしょうか。

スピリチュアルという言葉は形容詞になり元々はスピリット、精神、心、霊を表します。元々の語源が息をするという意味なので、酸素を取り入れるということは、この世界に満ちるエネルギーも取り入れることでもあるので、神さま天使さまのイメージよりもっと身近なものと思います。霊体もこのエネルギーを摂取しているそうなので神秘さよりもずっと身近な世界に感じられますね。

この本では生きものの名称が漢字表記なので私もこの記事では漢字で表現したいと思います。普段は漢字カタカナひらがなのバランスでカタカナにしているのですが、日本人のスピリットを使うなら生きものの漢字一つから文化、心の表現も入るようにしたいなと思います。

蛙、蟹。

もしかしたら世界は大きな揺らぎの中で日本を経由して各文化の感覚と言語を統合していく過程なのかもしれないですね。

アフリカでは細かな名称はなくて青い虫で色々な種類をひっくるめているそうなので、どこにいたかの感覚でお互いにおおらかにシェアしますし、的確にこれと表現できる漢字もまた想像を細かに、そして豊かにシェアできます。おおらか言語はフィーリングが合わないとどの虫のことを言っているのかも伝え間違えそうなので波動の合う合わないは分かりやすそうでもあります😎

 

日本語の不思議についてこの本の中でも言語学者の木村紀子さんの話で登場していました。目は芽、花は鼻、葉は歯、穂穂は頬、耳は実実、実は実、殻は体、種は胤、根は心根と書かれていました。色々な解釈がある発音ですが、こちらでも私たちの存在を明確にする言語なんだなと思いました。

 

harutugekusa.hatenablog.com

 

抜粋

真夏の夕暮れ、家路につこうとして田んぼを振り返ると、すべての稲の葉先から露があふれ出して、キラキラと輝いています。「すごい、そんなにいっぱいの水を吐き出しているんだね。まるで星空だね」と声掛けをしてしまいます。よく見てみると、露はみんな葉先よりよりもちょっとだけ下から出てきています。「なぜ稲はあんなに露を出すのだろうか。でも昼間には見えないのは、すぐに蒸発してしまうからかな」と考えながら、畦道を帰ります。翌日、朝すぐに稲に話しかけます。「やっとわかったよ。田んぼの中が畑よりも涼しいのは、きみたちが吐き出している水分のせいだね」と。稲は「やっと気づいたのか」というような顔をしていました。

 

著者は自然一つ一つと会話をします。

 

抜粋

いつも意識的に見ています。こう言うと「稲をしっかり観察しているんだね」と思うでしょう。でも「観察」とは違うのです。この稲と百姓の関係の目指すべき境地を教えているのが「稲の声が聞こえるようにならないと一人前ではない」という昔からの言い伝えです。

「稲の声が聞こえるようになる」、それは稲が何を求めているかがわかる、ということです。これまでの経験を総動員してやるべきことを感じとるのです。

「稲の声が聞こえるようになる」、それは対象を単に科学的に観察し分析せよ、という意味ではなく、いつも「稲と言葉を交わして、稲と生きもの同士になれ」ということだと思っています。

このように生きものと会話をする、生きものの気持ちがわかるというような感覚は誰にでもあります。これをイギリスの人類学者エドワード・タイラーは1871年「アニミズム」と命名しました。動物や植物に、さらには無生物にも霊魂が宿るという考え方のことです。

 

ペットや街なかで見る動物とつい会話してしまうことはありませんか。その延長線にある行動です。植物は生き生きと毎日大きく成長していますし、虫もメカみたいだけどメカじゃない。

蝶も羽化をして飛び立つときにもう生まれた場所のチェックをして飛び立ちます。私にはそう見えます。

葉一つ、急いで産卵した様子は卵の産み付け方で分かったりします。私がトゲを切っているときに反対側で産卵していることもあります😂

 

田んぼから見る虫の世界というのは害虫、益虫、ただの虫に分けられるそうで、ただの虫は圧倒的に数が多く英訳では中立的な虫になるそうです。

ただの虫。

なんて素朴な表現でしょうか。くすぐったい表現ですね。

あるとき著者が小学生に聞いたそうです。ただの虫がいなかったら田んぼはどうなるでしょう。

答えは自然ではなくなる。でした。

 

私の心の中も悪いのや良いの、なんでもないもので構成されています。腸内にも同じように構成された世界があります。この世界の善悪のゾーニングも多分そうです。そう思うと宇宙がたくさん存在していますね。

 

天地(あめつち)の間に生きて心を育てる。なにやら合気道みたいになってますけど、年齢と共に天の氣が強くなって物ごとも俯瞰して語れるようになる、そして天に帰り、子どもは天の氣をたくさん持って地に馴染もうとする。

思考のオーラも人生が進むにつれて虹のように一色ずつ変化していくのが望ましいんでしょうね。

そうすると一日の中での行動が同じようになり、朝太陽を浴びて、その日のやりたいことを思い描き、人と笑いあい、美味しくご飯を食べる。思いやりの心を育み、知識を身につけ、深く思考し、身を清め、寝る前は天へと思いを馳せる。寝る前は特にメディアの刺激から離れないといけないですね。ネットの広告は不快指数高いですから。

 

あと子どもに教えた道徳が大人の世界で使いづらいのは歪んでいるからです。

現に病んでいく人が多いですし、波動の低い層が築いてきた文化が育まれてしまった世界ですよね。でもみんな天災や戦争もあったりした中で心が傷つきながらも一生懸命生きてきた世界でもあります。

これからみんなが本来の、ナチュラルに生きられる世界になるといいですよね。上も下も国も関係なく訪れますように。

 

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