月色ユーカリプタス

魂をみる私の世界

神様は何人いるのという話。この世の仕組み

今日は神様は何人いるのというお話です。

※今回のお話はあくまで今現在での個人的な考察となります。考察ですがこのお話を読むと伊勢神宮で何を祈ればいいのかが少し分かるかなと思います。

 

私は根源神が一度だけ夢に降りた経験があります。一言メッセージを貰った時間の分だけ神の光を視ることができました。のちにプロの鑑定でなかなか会えない方の神様だということを知ったのですが貴重な体験をすることができました。

この時以降スピには一切触れずに生きていたのですが、今はこんな状態なので好奇心の塊みたいな私は体験や情報を集め、私なりの答えを出してみました。

 

このブログでは根源神を『神様』とし、神道の神は やまと言葉での『神さま』と分けて書いています。

 

本来の神は唯一神、根源の光、セントラルサンと呼ばれるすべてを生み出した、ただ一つの存在です。

すべてを持った大いなる愛の存在です。そしてその光を分けてもらい輝いているのが魂です。みな平等な存在ですが、幾度の転生の中で都度現れる問題を愛と勇気で乗り越え、糧にしてきた魂は波動が高く強い光を放っています。スピリチュアルな世界で語られる高次元の存在というのはその強い光を放っています。

 

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では日本の神さまは何なのか。

これは集めた情報と経験の中から総合して判断すると念の集合体になります。

私は感情の欠片や、その集合体が姿を作り影で動いているもの、アチューメントやSNS、この辺りをクレアを使って視て体験したのですが、念というものは黒い色でした。

念というのはおどろおどろしいものではなくて『気持ちの塊』ということなのですが、それで偶然なのかなんなのか、興味深い話をどこかで拾って読んでしまったことがあります。古神道関係者の方の話で皇祖神というのは背の高い女性の影で降りると書いてありました。真実かは分かりません。ですがそう書いてありました。

影。これを読んだ頃は意味がよく分からなかったのですが、今改めて考察してみると念の集合体なんです。

長きに渡る人の念で神というお仕事を四次元の世界で発現させ、今なお国民が補強し続け、作り上げた存在だという推測になりました。アマテラスというのは皇祖であり祭祀で天皇と祈りで対話をします。天皇の祈りは四方拝や新嘗祭などでおなじみの年災消滅や五穀豊穣で、これらは国民への祈りなので、伊勢神宮の参拝というのは自分の願いではなく日本がどんな国であってほしいかを祈る場という答えになりました。

そして万民の祈りが神さまの力を大きなものとし維持し続けます。

元々自然信仰だったので御神木だったり鎮守の杜がセットになります。自然をそのままにした場所には精霊が宿り、そして高次元の存在も木の中、自然の中でお休みしていることもあるそうなので、神社は遠い昔から人々が創造してきた個性ある神さまと高次元の存在と会える場所でもあると思いました。

ご先祖様たちの祈りに触れられる場所でもあるのかなと。

海外からやってきた神とも、ルーツは西にあった!?とも言われていますがその痕跡を残したまま、祈りで古事記に書いてある通りの姿や個性へと変化させたか、または別で生み出したのだと思います。

神さまとチャネリングする方はその神さまか、力を貸してくれる高次元の存在と会っているのかもしれません。※高次元の存在の姿はメタファーです。

 

そしてこのゾーンにいる神さまの力は結構強いのでそれなりに叶うかと思います。たくさん参拝をすると神さまと繋がりが生まれるや、願いを具体的にしなかったために縁切り神社でとんでもない形で叶ってしまったという話、神社には色んな存在がいるとか、参拝者のいなくなった神社は神さまがいなくなるという話を聞いたことがありませんか。そう考えると御霊信仰なども気持ちをうまく誘導していると思います。それに対して一神教辺りだと使われなくなった礼拝堂でも祈りを捧げている描写が映画やゲーム内でもあったりします。

霊聴を使うプロに神さまは色んな性格がいるから霊的アンテナをしまいなさいと言われたことがあります。どうやってしまうんだろうと悩み涙したことがありますが、それくらい個性豊かなんですね。神社に行って思うのは、私は参道や鳥居が好きなのでカメラに収めたりするのですが本殿は畏怖を感じるので収められません。

古来から高貴なものは直接見てはいけないというしきたりがありますが、同じように神さまを見てはいけないとしたからそう感じるのかもしれません。

 

世界での信仰の簡単な考察をすると、偶像崇拝禁止というのはこの祈りの働きが悪さをしないよう禁止となったような気がします。祈る人の波動の高さによって低い次元と繋がりやすくなるので、それ対策なんだろうなと思いました。神聖なフリをして無責任な発言をする存在や人の不幸を面白がって引き寄せる存在もたくさんいるので、血の気の多い人がいる場所では難しいことだと思いました。

 

世界的に有名なヒーラーだったダスカロスさんという方も、すべての想念、感情そして言葉はエレメンタルを創造する。この形にはそれ自体の命がある。それを投影した人間、その創造主の知性を持っているのである。と語っていました。

日本には一億二千万人の人が住んでいますが、すべての人が清らかな祈りができたならそれはスゴいことになると思いませんか。日本は特別だとある界隈でよく言われますがここにヒントがあるのだと思います。そして大勢が祈るというのは祈りの質の平均化が起こるのでこれはとても重要になります。

 

争いの多い地域には負の感情の塊がウヨウヨいると思いますが、その負を育てない、浄化するために同時に愛の信仰が広がるようになっているような気もします。

私も霊視をして憑かれるという体験をしましたが、負という存在は人を転ばし嘲笑う存在です。その大きく育った負のエネルギーを偶然にも浄化したことがあるのですが強い電撃を受けたようになりました。

純粋な負の欠片は音も高くキラキラした音でした。悪夢も霊視で視ればキラキラとしてキレイでしたが、内なる眼ではそれはただの攻撃的な負でしかなかったのです。

そしてそれは憑いた人を最後は不幸へ落とす存在でもあるので気を付けなければいけません。人を呪わば穴二つ。最後は負の感情で満たした『その人』に阿鼻叫喚を味あわせ、より大きく成長するために嬉々として働きます。

こういったことからネガティブなことに執着せず、さっさと手放し、天と繋がり愛されて、愛されて褒められて幸せの中生きていくことを勧めたいなと思います。輪廻が終わらず汚した世界に再び戻ってくることを考えると、優しい世界を維持した方がどこに生まれ落ちても労りのある人生になるんじゃないかと思います。

 

普遍の愛、無条件の愛を説く教えを大切にした地域があったり、目覚めた人の話を聞き実践しようとする地域、日本は争いのなかった縄文時代の感覚からか祓い清めることで霊性を維持し、すべての存在と共存していくことを選んだのだと思いました。

どの宗教が正しいとかは言えなくて、神様は人の心をちゃんと見るようにと良いところと悪い、というか歪んだ解釈になってしまっているところを同時に存在させ、ちゃんと心で感じるようにとそういう風にしたのだと思います。

 

宗教のいう手放しをしなさいという話も少ししますが、これは波動が高くなった人が己の気持ちの中で自然と起こってくるもので、放つ光が強くなると足るを知った状態になるということだと思います。なので準備のできてない人に強制的に勧めるものでもないと個人的には思います。

 

私はまだまだ学ぶことが多くてああだ、こうだと言える人ではないのですが、私の考察を書いてみました。

宗教の歴史について浅い知識で語ったので詳しい人には頭を抱えさせたかもしれません。許してくださいねー。

 

一年の始まりは神社で清らかな祈りをし、二十四節気を数え、生き方に迷えば般若心経、念仏を学んでみたり、モヤモヤしたら神社で祓い清めてもらい、氏神さまに悩みを相談してみたり、愛を欲すれば根源の神様に祈り、一年の終わりは除夜の鐘で煩悩を消してもらい、自分を労り、家族を大切にし、人に優しく。そんな風に過ごしたいですね。

 

神様、八百万の神さま、仏さま、高次元の存在、精霊、すべてに、すべてに感謝します。私の中の尊い光、あなたの中の尊い光に感謝します。

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